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やかたちあきのブログ
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昨日「カウンセリング練習ね」と言って
娘と15分間話した内容が、
今朝起きると、頭の中からところどころ消えている。

でもね、私は、その時その時真剣に聞いていたと
思うんですよねー。
話の内容に、共感が薄いから、記憶にないのかなぁ。
エビングハウスさん、二日って本当?


記憶にとどめられる時間が短いからなのかなぁ。
会話の中のちょっと前の内容が
もうとんでいたりしてね。



話の内容を記憶にとどめながら、
しかも話の流れを考えながら(予測しながら)聴く、というところまで
いけるようになるには、
何が必要かなぁ?

今は、
相手の言葉を追いかけるだけで精いっぱい。

答えは相手自身の中にあるのだから、
こちらが会話を操作してはいけないし。

と思っているから、相手の言葉をただ聞くだけ。

ただ、話していて、
相手自身の中に、何かがまとまってきたときや、
絞り込めてきたときに、
そこから逸れることを聞くこと(興味本位の質問というの?)はまずいと思うが、
質問をして、整理をつけることを促すことは
あってもいいと思うんだよね。
その、整理どき、ってのが、つかめない、と思って、
不安になっていたんだ。

どうすれば、その整理どきというのを、
つかめるかな?
訓練?日常生活の会話?だろうか。
会話が苦手って意識はあったよなぁ。


そもそもどうして私は日常会話を苦手と思っていたんだろう?
しゃべる自信がなかったからかな。
変なこと言ったら変な人と思われる、とか、
そんな思い込みがあったんじゃないかな。
だから、自分の言う言葉にばかり集中していて、
相手の話を聞けていなかったんだよね。

まずすることは、何かなぁ。


整理どき、っていうのは、
やっぱり「うまいこと言ってやろう」っていう
欲の表れかしら?
「この私が、整理してやろう」みたいな?(笑)

純粋に、自分が疑問と思うことを、
聴く、という意識でいいんだよね。

相手に共感しながら、相手の言葉と気持ちを
聴いていく、
相手の気づきを信じて。

今は、そんな風にしか思えないや。
(できている、できていない、はおいといて)



なんでこんなにぐるぐるしているかって言うと、
日曜日カウンセリング実習の時に、
私がカウンセラー役で、
クライアントさんが、自分の話を絞りこめてきたときに、
せっかく流れがまとまってきていたのに、
それを元に戻すような、的外れ?逆戻り?なこと、を聞いちゃった、
みたいな指摘が観察者さんからのフィードバックにあって、


私自身が相手を知ろうという意識で、
「今までのお話を聞いていると、~~で、~~ってことだと思うんですけど、
そういうことですか?」
と聞いたことが、

と、ここまで書いて、気づいた。

「~~ってことだと思うんですけど」

この思う
……が、ちょっと変だな。

質問じゃなかったな。
これじゃ、なんかカウンセラーが断定しちゃってるような、
上位に立っているようにもとれるよね。


「今までのお話は、~~で、~~ってことですか?」
って、いうことにしよう!



そうか、私は上から見ていたのかもしれない。

それじゃーこれからどうしようか。
同じ目線でいるように、心がける。
そうしてみよう。

しかし、交流分析では、
やりとりが交差しちゃうとまずいって言っているような?
自分の体験上も、よく実感していることでもあるし、

同じ目線ってことは、ACにはACってことか?

クライアントさんが、
ACの立場でNPに訴えかけてきていたとしたら?
そこをNPから返せばうまくいくってこと、だよね。
あーそっか、
私はそこをAから返していたのかもしれないな。


人間関係っておもしろーい!
いろんなことを学べる、
生きていることに、感謝感謝。


整理どきについては、
もうちょっと考えてみます。


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何気ない言葉で、
誰かを傷つけてきた。
よく考えた末に発した言葉でも、
傷つけてしまうことがあった。

その経験が今を活かす。



いのちに傷がつかないように、

こころが温かくなることばが、

生まれますように。



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今日、産業カウンセラー養成講座の5日目で、帰りの電車の中で、
面接実習の中でのクライアントさんに対してのやりとりを
あの言葉が悪かった、とか 今度はこんな風に言ってあげるといいかな、
などと、ノートに書きながら反省していたときに、


「他人に優しくしようとするのはいいけど、
その前に、大切なわが子に優しくしていないんじゃない?」


もうひとりの自分からのメッセージが聞こえた。

「あなたが一日留守の間、
ふたりはどんなにがんばっているか、

母がいなくて、さみしい思いを精一杯がまんしているかもしれない、
食事の支度をふたりで協力してやっているかもしれない、

仕方がないことかもしれないけれど、
それが、やって当たり前になっちゃいけないんだよ」









「ただいま」

家に着いて9歳の息子を抱きしめた。
いつも「ただいま」のときには抱きしめるけれど、
今日はなんとなく違った感覚だった。



部屋から出てきた16歳の娘を抱きしめた。
抱きしめることが、できた。

「お母さん、なに?これ?」
娘はきょとんとしている。


「るな、ごめんね。
お母さんね、あなたが、お母さんのみていないところで、
いろーんなことを頑張ってくれていることを、
わかってやれていないな、って思ったの」

「うん」

「今日だって、お母さんがカウンセラーの勉強をしに行って
一日留守していても、
その間、ご飯をつくって、弟の面倒をみてくれていたでしょう。
なんてあなたはえらいんだ、って思ったんだ。

新しい学校に慣れるまでの間、毎日大変だっただろうけど、
それでも、毎日ちゃんと生活していた。

なのに、私は、
あれができていない、これがちゃんとしていない、って……
本当に、あなたはよくがんばってくれているのに。
それがわかってあげられなかった。

私は、きびしいことばかりいっていた。
そのまんまで、いてくれて、それでいいのに。

本当に、ごめんね、
いつも、ありがとうね」

「……うん」

頭をなでながら、
顔をみながら、
頬ずりしながら、
ぎゅーっと、抱きしめた。


娘は照れくさそうだったし、どう思ったかもわからない。

「こうやって、めんこ、めんこするのって、何年ぶりだろうなぁ
ぽこ(弟)がうまれてからしてないかなぁ」
「そんなことないよー」と、娘。

でも、そんなことは私にとってはどうでもよかったの。
今、このときに、娘を抱きしめられてそれでよかった。


私たちをみていたぽこちゃんも、横からぎゅーっ。
三人で、ぎゅーっ。

にこにこ。にこにこ。
幸せ。


こんな未熟な私を、
「お母さん、お母さん」と
慕ってくれて、ありがとう。

私のかけがえのない子どもたち。
生きていてくれて、ここにいてくれて、
本当にありがとう。



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この二日間
海に行ってきました。車で10分のところ。

ほんの数十分の間でしたが、
そこで何をやってきたかというと。

腹の底から叫ぶ!

腹の底から歌う!



変人と思われないかな 

とか、不思議に思わなくて、

どんどん気持よくなっていくほどで。



私はブログで自分をさらけ出し、
子どもの前でも弱い自分をさらけ出しています。
実際夕べも、高一の娘に、
「おんどりゃぁーなにやっとんじゃぁーー」(-_-;)

……と、ちゃぶ台は返していませんが、
そんなことをしていると、

ふっと、気付きが。


今までかくそうとしていた弱い部分、
ここまでさらけ出しちゃったら、
もうあとは本気になるだけじゃん!

恥をかいてかきまくって、行くしかない!
鎧も兜も盾もグローブも脱いでしまえ!
紫外線対策の帽子は脱がないけど、

そのまんまの自分で、勝負だぁ!


本気になって、
めちゃめちゃやって、
汗をかきまくろう!




おぉぉぉ~
また、海に行きたくなったぜよ。
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後輩ちゃんが会社を辞めました。

彼女は私よりかなり年下。
違う部署の仕事も兼任していて二人分の仕事をしていたのに、
数か月前に辞めた先輩の穴まで埋めていたので、
実質3人分の働きをしていたの。

そんな彼女、かなりハードなはずなのにいつもニコニコしているんです。
だからなんて素敵な人、って思っていたの。
なんていうか~自分をしっかり持っていて、
周囲に流されない強さを持っている人だなぁって。

そんな彼女は、ひそかに私のモチベーションの素だったりしたんです。
というのは、あぁやっぱり自分は自分であっていいって、
彼女を見ているとそう感じることが多かったんですよねぇ。
そのひそかな心の支えになってくれていた彼女がいなくなって、
自分の中でさみしい気持ちに気付きました。

するとね、
自分はそうだけど、彼女自身はどうだったんだろう?って思ったんです。

彼女が在職中に持っていたであろう色々な気持ちを、
私や周りの人が受け止めてやれてなかったのではないかな?って。


私も会社では、
2年前は、受付に座って総務の来客や業者さんを全部さばきながら、
必然的にお茶出し(社長や役員のお客様じゃないのに)、
それに加えて会社にきた電話は全部取ってつなげ、
それがあんたの仕事だ、と言われ、
社長と役員の秘書も完全にやれ、
それに加えて総務・庶務、
おまけに会社のホームページや会社案内のメンテナンスをやれとか……

どうしても時間内にさばけなくて残業になってしまうのですが、
ある日上司Aに呼ばれ
「どうしてこんなに残業しているんだ、
うちで今忙しいのはKさんとTさんなんだ、
だからあんたがこんなに残業しているなんておかしい」
と言われ、ショックを受けたり。

(上司Aは私との面談やミーティングなど、
入社一年間は一切していなくて、
一年たった時の面談でその理由を、
「1年生より5・6年生の方が大事だから」と面と向かって言ってきた)

どこまでやれば認めてもらえるの?
私はまだまだだ、と、かなり自信喪失していた頃でした~懐かしいな。

1年間で正社員になるという約束だったのに、
1年たっても何も動きがなくて、
1年4か月目にようやく社員登用されたのですが、
内示をもらったとき、その時の上司Aの言葉「忘れていた」に愕然。

更にこの時期、
携帯用のホームページを作ってほしいと上司B(上司Aの上)が言うので、
「おっしゃる通りにしますが、今もっている仕事も大事だし、
どれを優先させたらいいですか?」と言うと、
その上司Bはこちらの主張には全く関心がなかったようで、
無言でプイッと他の社員のところに言って、
これ見よがしにそいつに依頼していたなぁ。

周りの先輩たちは、他人の仕事には無関心で、
困っている人に手を貸すこともない。


このように、私自身が体験し実感してきた、つらさや虚しさ、
もしかしたら辞めて行った後輩ちゃんも感じていたのかな?
それを誰にも相談できずに、
自分一人で抱えていたのかもしれない、と思うと、
彼女に申し訳ない気持ちが湧いてきます。

ごめんね、○○○ちゃん。
私、力をかしてあげられない先輩だったよ。

だから、これからは、
他の後輩たちの気持ちをしっかり聞いて受け止めてやりたい、
それが、ここでの私の役割なのではないかと、思いました。
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今日の朝日は特別綺麗だった。


今朝の私は、コーチングの練習をしながら、
この練習の出口、到達するところが
まだつかめなくて、トホホ……

そうそう、気分転換をしよう、と
おいしいコーヒーをいれて、たけのこの里をつまみながら、
メールチェックをしてみると。


このところ仕事が忙しくてハードだったせいか、
へろへろだ……
という弱気メールを送った仕事相手から、
昨日会社に返信がありました。

「ここまで仕事に没頭できる自分を
ほめてやりましょう」


ひょぉぉー
朝の4時半からしびれました!


で、Gメールをみてみると、
産業カウンセラーの仲間からメールが。

そこにもうれしい言葉があったりして。


ありがとう。
いっぺんに元気が戻ったよ!

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昨日に続き、感動した人の二人目。
ドリカムのリーダーでベーシストの中村正人氏です。

ボーカルの吉田さんが、
昨年9月に内縁の夫である末田さんを病気で亡くしているんですが、
中村さんは、その悲しみの中にいる彼女を支えています。

ただ、彼らと彼らの音楽には、
私は今まで全くと言っていいほど興味がなかったんですよね。
それなのになぜ今ドリカム?
しかも感動させられたのが、
悲しみから復帰した吉田さんじゃなくて
中村さんっていうのは何なんでしょうか。


きっかけは、前回書いたポール・ポッツ氏です。
彼の映像のリンク先をたどっているうちに
ふと、ドリカムの映像をみつけ
(興味がないので、ドリカムだっていう意識も起きないはずだったし、
普段ならスルーのはずが)なぜかこの時、不思議と観てしまいました。

その映像が、チケット44万枚が発売と同時に即売されたという、
4年に1度のライブ「DREAMS COME TRUE WONDERLAND 2007」のものだったのです。
私は、屋外のライブのお祭のようなノリや、ディズニーランドのように
“みんな楽しもう!ひとり一人が主人公!”
みたいなノリが大好きなんですが、
このライブにそんな要素を感じ惹かれて観ていたんですね。
「ほ~ドリカムって結構エンターテイナーやなぁ~」なんて思いながら。
(この時点では吉田さんに夫がいたことなどもちろん知らなかった)

ところが、そのうちにひとつの事実が見えてきたのです。
それは、吉田さんの夫ががん闘病中で、
このライブの3日後に亡くなっていたということ。
失意の淵にいながらも、
3ヵ月後の12月には、彼女らはアルバムを出し、
ミュージックステーションのスーパーライブや
紅白歌合戦のステージに復帰したということ。

それを知って、
このライブの映像やメイキングの映像を繰り返し観ました。
「このとき彼らはどんな思いだったのだろう?
 こんな状況の中で、ファンのために、愛する人のために、
 愛情パワーを出し尽くす力強さがすごい!
 それってまさに苦悩と歓喜、
 プロフェッショナルってこういう人たちを言うんじゃないだろうか!
 この二人、素敵すぎる!」

全国ツアーとこの最終日を気丈に力強くつとめあげた吉田さんや、
彼女を支えてきた中村さんの姿に胸を打たれるんです。
感動の涙ぽろぽろ です。

さらに私は思いました。この感動は私にとっていったい何なんだろう?と。

すると、彼女を起点として自分の立ち位置に気づかいながら、
終始笑顔で吉田さんを見守り彼女のそばにいる中村さんが、
私の心の中でフォーカスされてきたんです。

今にも崩れそうな彼女を支えられるのは自分、
ドリカムを支えていられるのも自分、
(もちろん、吉田さんも一生懸命頑張っておられると思います)
そこにはとてつもない大きなプレッシャーがあったのではないかと思うのです。

すると、あぁ、中村さんって、“吉田さんあっての自分、自分あっての吉田さん”っていう
“自分と彼女の存在”を確かなものとしていて、
それでいて自分が果たす役割をしっかり見極めていて、
そういう意味で本当に肝の据わった人なんだ、と思えてきたんですよ。
本当にすごい人だ!

私も、中村さんみたいに、確固とした自分をもった自分になっていこうと思いました。
確固とした自分であれば、何も怖いものはないんじゃないかと思う。
気付かせてくれて、本当にありがとう。

これを機に中村さんの音楽も聞いてみようと思います。
(歌と作詞はやめた方がいいと吉田さんから言われたという、
中村さんの歌って、どんなのかな?)

最後に、吉田さんが一日も早く元気を取り戻されることと、
末田さんのご冥福をここで静かに祈っていたいと思います。



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私を感動させた人物を二人、紹介します。
(二人目は次回投稿します)

一人目は、イギリス人のポール・ポッツ氏。
ご存知の方も多いと思いますが、
2007年の6月にイギリスの素人オーディション番組
「ブリテンズ・ゴット・タレント(Britains Got Talent)」で優勝し、
瞬く間に世界でアルバムデビューを果たした方です。
(先月日本でもコンサートが行われましたが、
二日間とも満員だったそうですね)


先月の産業カウンセラー養成講座受講の日、
時間があったのでネットカフェにいたのですが、
そのとき偶々ネットで見つけたのが、
ポールさんがオーディション番組で歌う映像だったのでした。

失礼ながら、なんだか見た目がふにゃふにゃしているし、
しゃべることも自信なさげに感じます。
「夢は生きがいと感じることを仕事にすることです……
いつも歌を仕事にできたらと願っていました……
僕は自信を持てずにいつもつまずいています……
完全に自分に自信を持つことができないのです」

それがこのポールさん、
プッチーニの「Nessun Dorma」というオペラの曲を歌い上げたのです。
外見からは想像がつかないくらい大胆に堂々と、
私の心には非常に強く迫るものでした。
審査員の女性が涙ぐんでいましたが、
私もネットカフェの個室で目頭を押さえていましたよ(想像しないでね……笑)

そ・し・て、期待どおりに彼は勝ち抜き、なんと優勝しちゃうんです。


ポールさんはインタビューでこう言っています。
「夢は生きがいと感じることを仕事にすることです、
いつも歌を仕事にできたらと“願っていました”」

彼は全くの素人ではなく、1999年から2003年の間、
一時オペラに出演したことがあったという情報がありますが、
そんなことは問題ではなくて、
イケてない(失礼)携帯電話のセールスマンだったポールさんが
“いつも歌を仕事にできたら”という思いを持ってこのオーディションにのぞみ、
勝利をつかみ取ったということが、どんな意味を持つのか、と考えたいのです。

「自分の声がいつも親友でした。
学校でいじめられたときはいつでも自分の声が頼りでした。
いまみんながなぜ僕を信じてくれているのかわかりません。
僕はいつもはみだしっ子でした。
たぶんそれが自信を持てない理由だったのかもしれません。
歌っているときはそんなことはどうでもよくなります。
自分の居場所にいるという感じです」

歌っているときは、自分の居場所にいる……まさに、潜在意識レベル。
そして、自分の心からの“歌を仕事にできたらという願い”に気がつき、
あの「ブリテンズ・ゴット・タレント(Britains Got Talent)」のステージに立ったのですよネ。
私は、彼がどんなきっかけで、
自分の心からの願いに気がついて行動を起こしたのか、
というところに、興味が湧きました。


ぜひご覧ください。

















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