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やかたちあきのブログ
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私の持病の治療で約11年間お世話になり、
私の父が白血病を発症した時にお世話にもなった、先生がいます。


先生は数年前にクリニックを開業されたため、病院を離れられたので、
もう5年間ほど?お会いしていないのですが、
今回父の闘病記を出版するにあたって、
当時主治医であった先生にご挨拶の手紙をお送りしてみたのです。


すると、「今日手紙が届きました」と即日メールで返事をくださって……
“送信者”に懐かしいお名前を見つけ驚きつつも、
なんだか嬉しいやら懐かしいやら、いろんな気持ちがこみあげてきて……
メールを開封……
距離・時間が離れても、患者であった私たちのことをいまだにお気遣いくださる文面には、
こころがほわほわ温まって……じぃぃ~ん。

また会いたいなぁ。本をお届けするときに、お会いできるかな?



私も先生みたいに、人を優しい気持ちにさせるような、人間になると決めました。

そのために、今できることは何だろう。
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あなたを理解したい

無条件の受容。


それができない、そんなときには、
きっと
自分のフィルターがかかっている。


自分のフィルターを溶かすためには、
自分がすべてOKになること。


昨日、私が1センチ前進できたことは
何かな?


産業カウンセラー養成講座
7日目でした。

今日はね、充実感いっぱいの気持ちを抱えて
帰宅したんですよ。


本日一番の収穫は、

自分の思い込みの強さを、弱点だと思っていたのが、
それは言葉として表面に出さなければ、
心の中で思っていさえすれば、
いいことなんじゃないか、ってこと。
思う感じるってのは、カウンセラーにとって
悪いことではないと思ったんですよね。


ただカウンセラーとしての立場で、
私はこう思うよ、って言葉で言ってしまえば、
クライアントさんに押し付けのようになるだろうけど、

思うこと感じることを、心の中にだけ持っているってのは、
いろんな見方ができるようになる第一歩かな、って思ったの。


クライアントはこう思っているのかな?
それともこうなのかな?
なんていうか、仮説を立てて、って言ったら大げさかもしれないけど、
いろいろアレンジして、
心構えを持つって言うかね。

こんな気持ちをうまく表現できないのも、
私なんですけどね、
それでも、
こんな自分、なかなか久しぶりに、いい自分。
カウンセリングの勉強を始めてから、
ぶち当たった壁 「相手の話を聴けていない」

原因を追究し、この問題をクリアしようと
一ヶ月間ほど もがいていました。

その原因としては思い当たることがあったので、
そこを少しずつ、心の中で、
ときほぐして……
ここ最近、だいぶ楽になりました。

相手を受容する、ということには
膨大なエネルギーが必要なのだな、と
思った次第で。


さて、そんな日々をすごすなか、
昨日高一の娘と話したときのことで
とてもうれしいことがありました。

いつもの“○分間カウンセリング”と称した
傾聴練習をさせてもらっていたのですが、
今回の話題は “将来のこと”

彼女は、今までは、趣味の世界を
仕事にしようとしていたようなのですが、
(それもおぼろげな理想とは思いますが)
ぶっちゃけ、声優??

しかし、このごろは
保育・教育の仕事に就こうかな、と
考えるようになったとのことなのです。

秋葉原の事件もそうだし、
日々ニュースで聞こえてくる
親による子供への虐待とか……
子どもや若者が、虐げられ勇気を失っていることに
自分が何かの助けになれるだろうか、と
考えているそうなのです。

たまたま自分の通っていた保育所の前を
歩いて通ったとき、
子どもたちの様子を眺めていて、
その思いが高まった、と。


私は彼女の話に評価はしませんが、
それを聞きながら、ただただ共感して、
私自身が心から感動したことと
嬉しく思ったことを伝えました。


娘の顔が輝いていました。



人の役に立ちたい、という思いを
こんなに明確にできる娘を、
尊敬せずにはいられません。


私は高校は6年かけて卒業、
大学も中退ですから、
16歳からの一番学べる時期を捨ててきたんですよね。
同じ時期に、こんなに輝く娘を持てて、
本当に私は幸せな親です。


私もコーチングやカウンセリングを学ぶ中で、
理論、知識の不足を痛感しているので、
系統だてて学ぶ方法を検討しているところ。

これからは、親子で似たようなことを
学んでいくことになりそう?


娘は、今後どう変化していくかはわからないけれど、
こんなに幸せな気持ちにしてくれる娘に、
ありがとう、という気持ちでいっぱい。

昨日「カウンセリング練習ね」と言って
娘と15分間話した内容が、
今朝起きると、頭の中からところどころ消えている。

でもね、私は、その時その時真剣に聞いていたと
思うんですよねー。
話の内容に、共感が薄いから、記憶にないのかなぁ。
エビングハウスさん、二日って本当?


記憶にとどめられる時間が短いからなのかなぁ。
会話の中のちょっと前の内容が
もうとんでいたりしてね。



話の内容を記憶にとどめながら、
しかも話の流れを考えながら(予測しながら)聴く、というところまで
いけるようになるには、
何が必要かなぁ?

今は、
相手の言葉を追いかけるだけで精いっぱい。

答えは相手自身の中にあるのだから、
こちらが会話を操作してはいけないし。

と思っているから、相手の言葉をただ聞くだけ。

ただ、話していて、
相手自身の中に、何かがまとまってきたときや、
絞り込めてきたときに、
そこから逸れることを聞くこと(興味本位の質問というの?)はまずいと思うが、
質問をして、整理をつけることを促すことは
あってもいいと思うんだよね。
その、整理どき、ってのが、つかめない、と思って、
不安になっていたんだ。

どうすれば、その整理どきというのを、
つかめるかな?
訓練?日常生活の会話?だろうか。
会話が苦手って意識はあったよなぁ。


そもそもどうして私は日常会話を苦手と思っていたんだろう?
しゃべる自信がなかったからかな。
変なこと言ったら変な人と思われる、とか、
そんな思い込みがあったんじゃないかな。
だから、自分の言う言葉にばかり集中していて、
相手の話を聞けていなかったんだよね。

まずすることは、何かなぁ。


整理どき、っていうのは、
やっぱり「うまいこと言ってやろう」っていう
欲の表れかしら?
「この私が、整理してやろう」みたいな?(笑)

純粋に、自分が疑問と思うことを、
聴く、という意識でいいんだよね。

相手に共感しながら、相手の言葉と気持ちを
聴いていく、
相手の気づきを信じて。

今は、そんな風にしか思えないや。
(できている、できていない、はおいといて)



なんでこんなにぐるぐるしているかって言うと、
日曜日カウンセリング実習の時に、
私がカウンセラー役で、
クライアントさんが、自分の話を絞りこめてきたときに、
せっかく流れがまとまってきていたのに、
それを元に戻すような、的外れ?逆戻り?なこと、を聞いちゃった、
みたいな指摘が観察者さんからのフィードバックにあって、


私自身が相手を知ろうという意識で、
「今までのお話を聞いていると、~~で、~~ってことだと思うんですけど、
そういうことですか?」
と聞いたことが、

と、ここまで書いて、気づいた。

「~~ってことだと思うんですけど」

この思う
……が、ちょっと変だな。

質問じゃなかったな。
これじゃ、なんかカウンセラーが断定しちゃってるような、
上位に立っているようにもとれるよね。


「今までのお話は、~~で、~~ってことですか?」
って、いうことにしよう!



そうか、私は上から見ていたのかもしれない。

それじゃーこれからどうしようか。
同じ目線でいるように、心がける。
そうしてみよう。

しかし、交流分析では、
やりとりが交差しちゃうとまずいって言っているような?
自分の体験上も、よく実感していることでもあるし、

同じ目線ってことは、ACにはACってことか?

クライアントさんが、
ACの立場でNPに訴えかけてきていたとしたら?
そこをNPから返せばうまくいくってこと、だよね。
あーそっか、
私はそこをAから返していたのかもしれないな。


人間関係っておもしろーい!
いろんなことを学べる、
生きていることに、感謝感謝。


整理どきについては、
もうちょっと考えてみます。


何気ない言葉で、
誰かを傷つけてきた。
よく考えた末に発した言葉でも、
傷つけてしまうことがあった。

その経験が今を活かす。



いのちに傷がつかないように、

こころが温かくなることばが、

生まれますように。



今日、産業カウンセラー養成講座の5日目で、帰りの電車の中で、
面接実習の中でのクライアントさんに対してのやりとりを
あの言葉が悪かった、とか 今度はこんな風に言ってあげるといいかな、
などと、ノートに書きながら反省していたときに、


「他人に優しくしようとするのはいいけど、
その前に、大切なわが子に優しくしていないんじゃない?」


もうひとりの自分からのメッセージが聞こえた。

「あなたが一日留守の間、
ふたりはどんなにがんばっているか、

母がいなくて、さみしい思いを精一杯がまんしているかもしれない、
食事の支度をふたりで協力してやっているかもしれない、

仕方がないことかもしれないけれど、
それが、やって当たり前になっちゃいけないんだよ」









「ただいま」

家に着いて9歳の息子を抱きしめた。
いつも「ただいま」のときには抱きしめるけれど、
今日はなんとなく違った感覚だった。



部屋から出てきた16歳の娘を抱きしめた。
抱きしめることが、できた。

「お母さん、なに?これ?」
娘はきょとんとしている。


「るな、ごめんね。
お母さんね、あなたが、お母さんのみていないところで、
いろーんなことを頑張ってくれていることを、
わかってやれていないな、って思ったの」

「うん」

「今日だって、お母さんがカウンセラーの勉強をしに行って
一日留守していても、
その間、ご飯をつくって、弟の面倒をみてくれていたでしょう。
なんてあなたはえらいんだ、って思ったんだ。

新しい学校に慣れるまでの間、毎日大変だっただろうけど、
それでも、毎日ちゃんと生活していた。

なのに、私は、
あれができていない、これがちゃんとしていない、って……
本当に、あなたはよくがんばってくれているのに。
それがわかってあげられなかった。

私は、きびしいことばかりいっていた。
そのまんまで、いてくれて、それでいいのに。

本当に、ごめんね、
いつも、ありがとうね」

「……うん」

頭をなでながら、
顔をみながら、
頬ずりしながら、
ぎゅーっと、抱きしめた。


娘は照れくさそうだったし、どう思ったかもわからない。

「こうやって、めんこ、めんこするのって、何年ぶりだろうなぁ
ぽこ(弟)がうまれてからしてないかなぁ」
「そんなことないよー」と、娘。

でも、そんなことは私にとってはどうでもよかったの。
今、このときに、娘を抱きしめられてそれでよかった。


私たちをみていたぽこちゃんも、横からぎゅーっ。
三人で、ぎゅーっ。

にこにこ。にこにこ。
幸せ。


こんな未熟な私を、
「お母さん、お母さん」と
慕ってくれて、ありがとう。

私のかけがえのない子どもたち。
生きていてくれて、ここにいてくれて、
本当にありがとう。



この二日間
海に行ってきました。車で10分のところ。

ほんの数十分の間でしたが、
そこで何をやってきたかというと。

腹の底から叫ぶ!

腹の底から歌う!



変人と思われないかな 

とか、不思議に思わなくて、

どんどん気持よくなっていくほどで。



私はブログで自分をさらけ出し、
子どもの前でも弱い自分をさらけ出しています。
実際夕べも、高一の娘に、
「おんどりゃぁーなにやっとんじゃぁーー」(-_-;)

……と、ちゃぶ台は返していませんが、
そんなことをしていると、

ふっと、気付きが。


今までかくそうとしていた弱い部分、
ここまでさらけ出しちゃったら、
もうあとは本気になるだけじゃん!

恥をかいてかきまくって、行くしかない!
鎧も兜も盾もグローブも脱いでしまえ!
紫外線対策の帽子は脱がないけど、

そのまんまの自分で、勝負だぁ!


本気になって、
めちゃめちゃやって、
汗をかきまくろう!




おぉぉぉ~
また、海に行きたくなったぜよ。
今日の朝日は特別綺麗だった。


今朝の私は、コーチングの練習をしながら、
この練習の出口、到達するところが
まだつかめなくて、トホホ……

そうそう、気分転換をしよう、と
おいしいコーヒーをいれて、たけのこの里をつまみながら、
メールチェックをしてみると。


このところ仕事が忙しくてハードだったせいか、
へろへろだ……
という弱気メールを送った仕事相手から、
昨日会社に返信がありました。

「ここまで仕事に没頭できる自分を
ほめてやりましょう」


ひょぉぉー
朝の4時半からしびれました!


で、Gメールをみてみると、
産業カウンセラーの仲間からメールが。

そこにもうれしい言葉があったりして。


ありがとう。
いっぺんに元気が戻ったよ!

昨日に続き、感動した人の二人目。
ドリカムのリーダーでベーシストの中村正人氏です。

ボーカルの吉田さんが、
昨年9月に内縁の夫である末田さんを病気で亡くしているんですが、
中村さんは、その悲しみの中にいる彼女を支えています。

ただ、彼らと彼らの音楽には、
私は今まで全くと言っていいほど興味がなかったんですよね。
それなのになぜ今ドリカム?
しかも感動させられたのが、
悲しみから復帰した吉田さんじゃなくて
中村さんっていうのは何なんでしょうか。


きっかけは、前回書いたポール・ポッツ氏です。
彼の映像のリンク先をたどっているうちに
ふと、ドリカムの映像をみつけ
(興味がないので、ドリカムだっていう意識も起きないはずだったし、
普段ならスルーのはずが)なぜかこの時、不思議と観てしまいました。

その映像が、チケット44万枚が発売と同時に即売されたという、
4年に1度のライブ「DREAMS COME TRUE WONDERLAND 2007」のものだったのです。
私は、屋外のライブのお祭のようなノリや、ディズニーランドのように
“みんな楽しもう!ひとり一人が主人公!”
みたいなノリが大好きなんですが、
このライブにそんな要素を感じ惹かれて観ていたんですね。
「ほ~ドリカムって結構エンターテイナーやなぁ~」なんて思いながら。
(この時点では吉田さんに夫がいたことなどもちろん知らなかった)

ところが、そのうちにひとつの事実が見えてきたのです。
それは、吉田さんの夫ががん闘病中で、
このライブの3日後に亡くなっていたということ。
失意の淵にいながらも、
3ヵ月後の12月には、彼女らはアルバムを出し、
ミュージックステーションのスーパーライブや
紅白歌合戦のステージに復帰したということ。

それを知って、
このライブの映像やメイキングの映像を繰り返し観ました。
「このとき彼らはどんな思いだったのだろう?
 こんな状況の中で、ファンのために、愛する人のために、
 愛情パワーを出し尽くす力強さがすごい!
 それってまさに苦悩と歓喜、
 プロフェッショナルってこういう人たちを言うんじゃないだろうか!
 この二人、素敵すぎる!」

全国ツアーとこの最終日を気丈に力強くつとめあげた吉田さんや、
彼女を支えてきた中村さんの姿に胸を打たれるんです。
感動の涙ぽろぽろ です。

さらに私は思いました。この感動は私にとっていったい何なんだろう?と。

すると、彼女を起点として自分の立ち位置に気づかいながら、
終始笑顔で吉田さんを見守り彼女のそばにいる中村さんが、
私の心の中でフォーカスされてきたんです。

今にも崩れそうな彼女を支えられるのは自分、
ドリカムを支えていられるのも自分、
(もちろん、吉田さんも一生懸命頑張っておられると思います)
そこにはとてつもない大きなプレッシャーがあったのではないかと思うのです。

すると、あぁ、中村さんって、“吉田さんあっての自分、自分あっての吉田さん”っていう
“自分と彼女の存在”を確かなものとしていて、
それでいて自分が果たす役割をしっかり見極めていて、
そういう意味で本当に肝の据わった人なんだ、と思えてきたんですよ。
本当にすごい人だ!

私も、中村さんみたいに、確固とした自分をもった自分になっていこうと思いました。
確固とした自分であれば、何も怖いものはないんじゃないかと思う。
気付かせてくれて、本当にありがとう。

これを機に中村さんの音楽も聞いてみようと思います。
(歌と作詞はやめた方がいいと吉田さんから言われたという、
中村さんの歌って、どんなのかな?)

最後に、吉田さんが一日も早く元気を取り戻されることと、
末田さんのご冥福をここで静かに祈っていたいと思います。



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